「小児がん生存率」目安となる5年はいつから数える?

  • This topic has 11 replies, 4 voices, and was last updated 2018-11-28 16:17 by ス~パパ.
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  • #4436
    hinamama

      2013年12月に1歳半で急性リンパ性白血病になった娘がいます。
      生存率などの話で目安となる5年って、治療が全て終わってから数えるお医者様と寛解になってから数えるお医者様がいらっしゃいます。
      正式にはどちらなんでしょうか?

      みなさんはどの様にお医者様から伝えれていますか?
      宜しくお願いします。

      #4450
      ス~パパ

        hinamamaさま、娘のス~が小6の時に同じ病気になった、ス~パパと申します。取りあえず”寛解”がひとつの区切りですので、そこから5年と考えました。更に退院後5年も考えまして、最終的にはその一年後の治療終了後から更に5年と考えましたが、どんどん早まりますのでご安心ください!娘のス~も治療終了後早10年となりました。

        #4644
        輝く子どもたち@はな

          次男は白血病の治療を終え、12年経過しました。うちは、治癒の目安として「5年」を治療終了後からカウントしています。

          診断時や論文などで見る「生存率」は診断時からカウントするので、それで計算するとうちの場合は14年生存しているということになります。

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           「5年生存率」の計算
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          5年というのは、「がんになってから5年」ではありません。いつがんになったかは、誰にも分かりません。生存率の計算においては、早期であろうが進行がんであろうが、がんと診断または治療を行った時点から数えます。

          yomiDr.「がんの5年生存率…「62%」の意味は?」より引用

          がんの5年生存率…「62%」の意味は? | ヨミドクター(読売新聞)

           がんの治療成績を表す指標に「5年生存率」があります。国立がん研究センターは7月、最新統計による日本人のがんの5年生存率が62%だったと発表しました。  これだ…

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           生存率の「統一規格」
          ————————————————–

          生存率には、情報の整理と計算方法によって、実際とかけ離れた成績となる危険性が多々あります。現時点においては、国際的にも「統一規格」は示されていません。また、その成績が方法的に信頼に足るものか否かをチェックする機構もありません。

          特定非営利活動法人 日本がん登録協議会「がん登録・がん統計について」より引用

          #4653
          hinamama

            スーパパさん、こんにちは。
            コメント下さってありがとうございました。
            娘は治療始めて早い段階で寛解になりました。
            確か、カルテ上では入院してから4ヶ月後くらいです。
            治療後だと退院後更に1年3ヶ月内服と点滴がありましたので、もう少し先になります。
            お嬢様はもう成人されて、お元気なんですね。
            サバイバーの方がお元気に過ごされている事は同じ病気を経験した子どもの親としてみれば嬉しい事です。

            ありがとうございました。

            #4654
            hinamama

              はなさん、コメントありがとうございました。
              やはり、一応の定義はあっても数えかたはそれぞれですね。
              私の場合は主治医と同じ病院で診て下さっていた別の医師の数えかたが違ったので、迷いました。
              娘はどちらの計算でもまだ5年には達していませんが、毎日元気に登園しているのが幸せです。

              これからも宜しくお願い致します。

              #4657
              ス~パパ

                hinamamaさん、娘のス~は今年で25になりまして都内の総合病院のオペ室に勤務しております。入院した病院の看護師をしたかったのですが、県立病院なので看護師国家試験は受かったのですが、県の試験に落ち現在に至りますが?実は、一昨年前に妻(ス~ママ)が乳がんになり、全的手術をその病院で行ったときには、婦長さんのご配慮にて、敢えてシフトに付けて頂き妻が全身麻酔で寝落ちするまで、枕元で手を握ってたらしいです。私も楽でした!だって家族への説明は全て娘が主治医から聞くので私自身その1ヶ月前に食道癌の内視鏡手術を受けたばかりでしたので、助かりました!なので、我が家は長男(28)を除いて3人がサバイバーです。娘が県の試験に落ちたのも既に神様が”ママが近い将来病気になる事”を判ってて、落としてくれたのだと信じております。
                hinamamaさん先にも申しましたが、5年はあっという間デス!!

                #4668
                hinamama

                  スーパパさん。
                  大切なご家族のお話しをありがとうございます。
                  二人に一人はがんになる時代とはいっても私の周りにはあまりいませんでしたので、現実的ではありませんでした。
                  娘が白血病になったときも、何故?と毎日泣いていました。
                  スーパパさんご自身も奥様もサバイバーだったのですね。
                  本当にご苦労があったと思います。
                  コメントを拝読させて頂いていて思いましたが、とても前向きでプラス思考でいらっしゃいますね。
                  私もそんな親であり妻でありたいと思いました。

                  5年、あっという間なんですね。
                  私も前向きに頑張ります。
                  ありがとうございました。

                  #4670
                  まーる

                    遅ればせながら・・・管理人まーるです。

                    我が家は肉腫なので少し捉え方が違うかもれませんが、全ての治療を終えてから5年と
                    説明を受けました。

                    hinamamaさんの不安な気持ちもとてもよくわかります。
                    我が家は2度目の治療があったので不安を煽ってしまうかと投稿を迷ったのですが・・・
                    でもス~パパさんのとても前向きな気持ちになれる投稿に感動して出てきてしまいました^^

                    私は不安な気持ちがあって当たり前だと思うようになってから少し楽になりました。
                    不安になったらそのまま不安な自分を受け入れてしまった方が前を向きやすかったのです。
                    それでもしんどいな、辛いなと思う時はいつでもメッセージをください。
                    お力になれるかわかりませんが、同じ小児がんの親として共に進んでいけたらと思います。

                    #4710
                    ス~パパ

                      私は、娘が小児癌になった時には、妻と自分たちを顧みました。当時マンションのローンも終え、中古の戸建てに引越し、妻も免許を取りイタ車2台に持ち家2軒と地に足が着いてなかったんです。そんなときに娘が微熱が続き、学校も休みがちになり、妻と「この子はサボり病何ぢゃないか?」と思ったりして、発病したときには自分たちを責めました。また、越して来た家の上空には15万Vの高圧線鉄塔があり、電磁波が原因なのではと思い、新たに家探しをしました。(マンションは既に知り合いに貸してましたので直ちに追い出すわけにも行かず)そんなときに、はなさんのサイトである”輝く子どもたち”を知り、色々と参考になり徐々に前向きに生きて行くことが出来ました!ですから、最初からプラス思考だった訳ではありません!小児医療補助の件では、地元の保健所の対応の遅さにぶちきれそうになったこともありました。でも、今の我が家が全員元気に過ごせてるのは本当にはなさんのお陰です!!ありがとうございます。

                      #4714
                      輝く子どもたち@はな

                        ス~パパさん、ありがとうございます。
                        あの頃に繋がった仲間との絆があるからこそ、私は活動を続けることができました。当時は治療が終わる頃や5年後のことなど想像もできませんでした。
                        私たちだから伝えられることもあると思いますので、今後も力を貸してください。よろしくお願いします。

                        #4729
                        hinamama

                          まーるさん
                          はじめまして、hinamamaです。
                          お気遣いありがとうございます。

                          このようなサイトで私の不安や心配を一緒に考えて下さるお仲間に出会えた事、感謝します。
                          そして、色々な事を乗り越えたからこそ今は前向きに過ごされていらっしゃる方々のメッセージは、まだサバイバー歴の短い私にとっては心強く安心の材料になってくれています。
                          共に進んでいけたらと……
                          本当に嬉しいメッセージでした。
                          今後も宜しくお願い致します。

                          #4740
                          ス~パパ

                            生存率の話とは脱線しますが、私が最初に神の存在を意識した事件を話します。ス~の3つ上のお兄ちゃんが中学担任の先生が顧問であるソフトテニス部に入り、硬式の経験はあるものの、ソフトテニスは、小学生のジュニア経験者達が殆どレギュラーに属してる中、体格も良く中1後半にはレギュラーの先輩たちと一緒に練習させて貰い、3年生引退後にはレギュラーの座を勝ち取りました!しかし、その後先輩のお母さんから「XXさんちは、、お母さんが免許がない」という理由からレギュラーを落とされてしまいました。照明設備のない市立中学のコートなので、特に冬場は市内の体育館を借り、行きは顧問の車に乗り帰りはそれぞれ母親がクルマで迎えに行くからなのです。顧問の先生からは「XXさん私は息子さんをレギュラーにしたいのだけど先輩のお母さん方に無視が出来ないから早くママに免許を取らせて!」といわれ、2ヶ月で取り、再びレギュラーに返り咲きました!当時小6だったス~も同じ中学でソフトテニスをやる積もりでいましたから、お兄ちゃんが苦労した経験でス~にはジュニアからやらせることにしました。ママも免許を取ったので家から5km位にあるコートのジュニアで練習を始めました。そこから数ヵ月後にス~の微熱が始まりジュニアの練習所か学校にも行けずにそのままALLに発祥し長期入院が始まりました。県立の小児専門病院は我が家からクルマで20分位の所にあり、お陰でママが毎日ス~の食べたいおかずや着替えを運べるようになりました!もし、あのときにママに免許を取らせなかったら大変でした。血腫の病気なので寛解後の一時退院のたびに公共交通機関は使えないので、タクシーで帰るしか手段がないので、考えただけでもぞっとしました。確かに本人の原因ではないことでレギュラーを外される事は“理不尽”ではありますが、これも神様のなせる業だったんですね?
                            最後に、息子の復帰のお陰でレギュラーを落とされた子のお父様が実は、息子の試合をこっそり応援しに来てくれた事も後から知りました。県南新人戦で同校同士対決の決勝で優勝したときには、お祝いの連絡も頂きました。ことも付け加えておきます。長文大変失礼致しました。

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